ひとりぐらしの真夜中

"I have a new philosophy" 暮らしの小ネタ集。

自分はどういう人間か伝えよう

好きなことが一緒の人よりも、嫌なことが一緒の人の方がいい、と言われてはっとする。

 

5年付き合っていて別れた人がいる。
結婚も考えていたけど、結局わたしから別れを告げた。

 

その人は競馬、スマホのゲーム、ダーツなどの勝負事を好む人だった。わたしもスマホのゲームにはまっているときもある、ゲームとか賭け事とか、嫌いなわけじゃないし、これらの趣味を否定する気も全くない。人の趣味を否定したり、取り上げたりするのも苦手だ。

 

付き合ったばかりの頃は、一緒に行ったレストランでわたしが嬉しそうに料理の写真を撮ろうとするとそれを良しとは思わない彼だった。行儀が悪い、と。いつの頃からか、一緒に行くレストランでもスマホのゲームをしたい人になっていた。電車での移動中も競馬の情報を見ていた。

 

そうして彼はずるずるそれらの趣味にのめり込んでいき、わたしもそれを許し続けた。

 

そして彼に悪気はないのだけど、旅行や家事などの生活に関わることに興味がない人だった。
なのでわたしは旅行は友達と行くようになっていた。

 

その結果、勿論彼がそれを口にしたことはない、だけど、彼の趣味に恋人のわたしは勝てなくなってしまったのだ。

そういう気持ちのズレからわたしたちは結局別れることになったのだ。何で別れたの?価値観の違いだよ、とはこのことか、と悟った。

 

特に未練があるわけではないのだけど、わたしにできたことって何かな、と考えることがある。そういう趣味がある人を遮断していくべきか、もしくは取り上げるべきだったか、わたしといる方が面白いと思わせる努力を重ねるべきだったか、無理にでも旅行の楽しさを伝えていくべきだったのか、結婚を迫るべきだったのか、考えれば考えるほど、その努力は必要な努力なのか?単に合わないだけだったのではないか、お互いが大切にしたいと思うことが違っただけなのではないか、と思えてくる。

 

ただこう思いすぎると、次なるお相手を消去法で選ぶことになる、というかなりそうになっていた。

次、わたしにできること。
それは自分がどうしてほしい人間なのか伝えること。
そして何をされるのが嫌なのか諦めずに伝え続けること。
わたしに足りなかったのはそこだった。
それはわがままではない。
絶対に必要なこと。
それでもわかってもらえないとき、そのときは仕方がない。


でもそれは自分がどういう人間であるのかを伝えた後に仕方がないと思いたい。