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京都・のんびり・ひとり暮らし

"I have a new philosophy" 暮らしの小ネタ集。

ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室は料理の苦手な全ての人の苦手を克服する可能性がある、と思った話。

ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室、今読んでるけどめちゃくちゃ面白い。こんな料理教室あるなら通いたい。

 

料理が地獄的にできない、料理に対してトラウマを持ってる10名に料理を教えていくという話。「8歳のときに指をざっくり切ってしまったことがあって。だから刃物がとても怖いんです。」「野菜を刻んでいる姿をからかう夫に見られないように、冷凍の野菜とプリカットされた野菜を購入していた。」めっちゃわかる。

 

わたしはカレーを温めるのも(作るじゃなく、温めるのみ)丸焦げにし、鍋ごと駄目にしたり、マクドハンバーガーを外の包装ごとトースターにいれて紙を燃やしてみたり、思ってる以上にいれて、といわれたので思い切りマヨネーズをかけてポテトサラダを台無しにしたりした。

 

失敗には2種類ある。

失敗したことに対して次はこうしよう!と思い、次に生かそうとできること。もう二度とやりたくない、と思うこと。わたしやこの本の生徒は後者だったのかも。

 

ひとつ思い出したのが、わたしは餃子が得意料理だ。焦げるとか燃えるとかマヨネーズの分量とか、考えたらわかるでしょ?っていう考えたら系は苦手だけど、餃子をひたすら包みまくるというような単調作業黙々系は得意な気がする。大根をひたすらおろすのもわたしの役目だった。

 

料理に関わらず、計算をやり続けるとか、ただただ英単語を覚えるとか、バドミントンの打ち合いをし続けるとか、ソリティアをやり続けるとか、そういうことは割と苦なくやれる。これだけでもそこそこの成果は出せる。(そこそこ成果を出せてきたからこそ、苦なく続けられたともいえる。)

 

単調作業黙々を越えて考えないといけないものっていうのはどうしたらいいのかがわからないときが多い。だから黙々とやり続けることでそこそこの成果を出せても、その先にいけないといった感じ。こうしたらどうなるというイメージする力が少ない。

 

あとひとつ、何とかしたいと思うことに出逢ったときに産むかもわからない自分の子供にもし伝えていくとしたら何歳のときにどうすべきなのかということを考える。

 

それは子供が大人になったとき(わたしのように)困らないように、とか子供に期待して、というよりはこんな風に伝えたら上手くいくような気がするけど実際そうか試してみたい、という自分の好奇心だったりする。

 

この本の料理教室の先生は、冷凍食品や加工品などを買いまくる人にどうしたら料理をしようと思ってもらえるのかを考えるところからはじめる。(実際にスーパーで話しかけるところから物語は始まる。)それに似てる。


料理教室で親子丼を習いにいったんだけど(わたし自身の話)、それを人にいうと何故そんなものをわざわざ習いにいくのか、とかクックパッドを見ればいい、とか言われる。それへの返事はなんかうまく伝えられないけど、「何とかしたい」んだよね。

 

駄目な生徒がいるんじゃない、駄目な先生がいるだけ。

 

やってるうちに出来るようになる、という人が先生なのはどんな分野でも不幸でしかない。自分が出来るもんだから他人がどうして出来ないのかわからない、わかろうとしないし、また自分がそれが出来るメカニズムを考えず、やってるうちに自然と出来るようになったと思い込んでいるのだ。(実際には良い先生から理論を学んでいたり、センスで自ら理論を習得してる)

 

この物語ではまずどんな包丁を買うべきか、包丁はどう握るのか、ひたすらズッキーニを切って千切りと角切りを覚えるという順序で教える。本当に1から教えているのだけど、この1がなんなのかということを考えるのはとてもとても難しいことだ。


わたしが親子丼を習ったクラスではこの1は教えない。親子丼の作り方を学ぶというよりは、みんなで親子丼を作るという方が正しい気がする。

 

いい先生にあたるためにはたくさんの先生にあたるのがいいかも。本はそのひとつになりうると思ったし、いつかそれを伝えていきたいと思った。